Vol. 20 花見で元気になる理由 〜桜の花と「創造性」の切っても切れない間柄〜

 

一気に咲いて、パッと散る。桜の季節は私にとって一年の節目で、春爛漫の桜の花見は欠かせない年中行事のひとつだ。散り行く桜を見ていると、過去に束縛された古い時間に区切りをつけて、新しい時間が始まるような、そんな爽快感に満ちてくる。

冬の間にコツコツとたくわえた養分で一気に満開の花を咲かせては、あっという間に散る桜を見ていると、生命の作り出す壮大な「芸術」に思わず感動を覚えてしまうのである。桜の花が描く春の錦絵に比べれば、人の描くどんな芸術作品もちっぽけに見えてきてしまうのである。桜の花の美しさに感動しながら、新鮮な気分になるということは、実に「生きること」そのものであるような気がする。

毎年花を咲かす桜であっても、よく見ると、去年とまったく同じ花を咲かせることはあまりない。同じ桜の木であっても、咲き具合いや、花びらの色合いに変化があったりするのだが、こうして定点観測を続けていると、生命というものは、常に新しいものを生み出しているということに気づくのである。言い換えるなら、「生命は常に創造を繰り返している」のである。新しモノをつくる。新しい形を得る。そしてそのたびに新しい機能を獲得していく。まさに、桜の花と「創造性」とは切り離せない関係にあるものだ。

要するに、私たちが生きていくということは、すなわち何かを創造し続けていることに他ならないのだろう。何もそれは芸術的なことに限らないのである。日々の暮らしの中であっても、私たちは何かを生み出し、そして変化し続けている。ただ、多くの場合、目の前の日常性に囚われて進むべき方向を見失っていたり、行動すべき時に「オン」「オフ」の気持ちのスイッチを切り替えたりするのが難しいだけなのだ。

桜の花の、凛としたたたずまいの美しさは、見る人の胸にこの「気持ちのスイッチ」を上手に切り替えるパワーを与えてくれるのである。昨日までの惰性や怠惰を振り切って、思い切って何かを始めたり、見失っていた自分の大切なことに素直に向き合える強さを与えたりしてくれるのである。

そんな春の昼下がりの公園で、桜の花の下で小気味よく跳ねたり、踊り回ったりする男性の姿を見かけた。目の前の通行人の視線など気にならない様子だ。この男性も、数分前に、桜の花に、気持ちのスイッチを切り替えられたに違いない。